宮崎家庭裁判所日南支部 昭和45年(家)143号 審判 1971年2月20日
申立人 村田ゆき(仮名)
相手方 村田惣市(仮名)
主文
相手方は申立人に対し金三〇万八、七〇九円を即時に支払え。相手方は申立人に一ヶ月金一万円宛を昭和四六年一月一一日より申立人が入院する期間中毎月末日限り支払え。
理由
(申立人の主張)
申立人は、「一、相手方は申立人に対し金二六万〇、〇四四円を即時に支払え。二、相手方は申立人に対し医療費と食費として一ヶ月金五万円、小使銭として一ヶ月金五、〇〇〇円合計金五万五、〇〇〇円宛を昭和四五年九月より申立人が退院するまで毎月支給せよ。」との審判を求め、その申立の実情として次のとおり述べた。
一 申立人と相手方は昭和一八年二月二二日婚姻届を了した夫婦である。
二 相手方は早くから○○○○○工業株式会社○○工場に勤め、昭和四四年一〇月退職するまで右工場に勤務し、双方の間には子がないため昭和二八年四月養女美津子を迎え親子三人の家族生活を相手方現住所で営んできたものである。
三 ところで、申立人は不幸にも昭和三五年一二月から病気の身となり以来入院退院を繰り返してきたが、再び発病し昭和四四年一〇月からは県立○○病院に入院し現在に至るものである。
四 ところが、相手方は前記○○工場退職時に金四〇〇万円位の退職金を入手し、また現住所の宅地建物を所有し、かつ退職後は毎月七、〇〇〇円の年金を受給する身でありながら、申立人の治療費を昭和四五年一月分までしか支払つてくれず、その後は一銭も支給してくれないのである。昭和四五年二、三月分金八万四、七三〇円は申立人の兄弟がみかねて一時立替払いをしてくれたけれども、その後病院に対し未払費用が累積し同年四月から同年八月までに金一七万五、三一四円に達し、結局同年二月から同年八月まで合計金二六万〇、〇四四円の負債が生じた。また現在の入院状態からみて一ヶ月に医療費と食費として金五万円、小使銭として金五、〇〇〇円合計金五万五、〇〇〇円がどうしても必要なので、右既存の負債額の即時支払と今後退院するまでの間一ヶ月金五万五、〇〇〇円の支給を求めるものである。
(相手方の主張)
相手方は申立人の前記主張に対し、申立人と相手方が昭和一八年二月二二日婚姻した夫婦であること、相手方が長く○○○○○工業株式会社○○工場に勤務して昭和四四年一〇月停年退職したこと、および双方間には子がなく昭和二八年四月養女美津子と養子縁組したこと、はそのとおりであるが、申立人との結婚生活は申立人が昭和三五年一二月結核のため入院して以来夫婦としての家庭生活を営めたことは殆んどなく、右結核入院をおえて昭和四一年三月退院するや一ヶ月目には今度は子宮癌ということで同年四月には再入院し、以来今日に至るまで入院生活を続け、その間相手方は美津子の養育を果しながらただひたすら病気の申立人のためにその治療費等全額負担してきたものである。そして昭和四五年二月まで右治療費等の完全支払をしてきたのであるが、申立人は相手方のこの苦しい立場を理解しないどころか、相手方が前記のとおり○○○○○○○工場を停年退職して経済的に苦しくなり通院治療に切りかえてくれるようにとの相手方の相談にも全然応じようとせず、あまつさえ相手方を夫と思わないといつた言辞を吐くに至つたことと、これからは養女美津子の大学進学という多額の教育費を必要とする段階にありながら相手方の収入は○○自動車整備工場勤務による日給金一、〇〇〇円という乏しいもので自分と右美津子の生活費に手一杯という状態にあることから、昭和四五年三月以降は一銭の支給もしていない。これは一つには申立人の姉達が相手方の現住宅地建物を処分してでも治療費を負担させるべきだと申立人をけしかけている事情もあるのであつて、これには応じられないばかりでなく、右宅地は実兄との共有であり同地上の建物とともに借金をしてようやく手に入れた物件で今後自分達親子の最低の生活の本拠でありとうてい手放すことはできず、また申立人のいう退職金は金四〇〇万円という多額のものではなく約金二〇〇万円で、そのうちの大半は右宅地建物取得の際の借金返済にあて、残りの金七〇万円位は右美津子の教育費と不事の出費にそなえて定期預金しているにすぎない。申立人の病気はもはや治らないときいているし、しかも相手方の言分をきいてくれない申立人であるから、今後は養女美津子の教育に専念していきたい。申立人を入院させて退院させないのは資力ある申立人の姉達兄弟なのであるから、その人達で申立人の面倒をみるべきだろう。相手方としては申立人とはもう離婚してしまいたいと思う。
(裁判所の判断)
筆頭者相手方の戸籍謄本および申立人、相手方の各審問結果によると、申立人と相手方は昭和一八年二月二二日婚姻した夫婦であること、双方は戦前は相手方勤務先の関係で○○で結婚生活を送つたが、昭和二一年○○に引揚げてきて一時相手方が○○県庁に就職したが、その後すぐ双方の郷里○○に帰るべく相手方は○○労政事務所に職場を変えて、さらにそれから約一年後に○○○○○工業株式会社○○工場に転職して昭和四四年一〇月停年退職するに至るまで同工場に勤務し、その間申立人は家庭の主婦としての生活を送るうち、双方間には実子のないところから塩見美津子(昭和二七年一二月一〇日生)を昭和二八年四月四日養女に迎え、同女につき同年九月二日相手方が認知届をしてここに夫婦親子三人の家庭生活を持つようになつたこと、しかるに、申立人は昭和三五年肺結核に罹患し入院して肺切手術を受けることとなり昭和四一年三月まで入院生活を送り、ようやく右入院生活をおえて退院したものの、今度は子官癌ということで右退院して一ヶ月後には再度入院を要するようになり今日に至ること、したがつて双方は昭和三五年以来別居生活をよぎなくされたこと、がそれぞれ認められる。
しかして、申立人は相手方が昭和四五年二月分以降の入院費用を支出してくれないと主張し、相手方は同年三月分以降の不支給を主張するところ、申立人、相手方、草深ミヨの各審問結果を総合すると、昭和四五年一月分までの申立人の入院費用は相手方において負担したが、その後の分については、申立人が相手方の要求する通院治療に応じなかつたことおよび相手方が前記のとおり○○○○○を停年退職して月の収入が極端に減少するようになつたこと等が原因となり、それに相手方の申立人に対する反抗心が昂じて、全然相手方において支給せず、また今後も一切支給しないという強い意思を有すること、そのため申立人の姉妹兄弟が昭和四五年二、三月分の費用金八万三、〇〇〇円位を立替払という形で支給したこと、その後の分は未払のまま入院先の○○県立○○病院に累積していること、が認められる。
ところで、申立人は、相手方の要求する通院治療が申立人の病状からして不可能な要求である旨主張するのであるが、同病院医師石崎知正の審問結果によると、申立人は前記子宮癌により○○県立○○病院に昭和四一年四月から同年六月まで第一回、同年一〇月から同年一二月まで第二回、昭和四二年三月から昭和四三年三月まで第三回と入院治療を受けたが、癌症状としては三期後半で手術不能の段階にきており、コバルト治療で症状の悪化を防ぐ程度のことしかできない状態にあり、したがつてその後も同病院産婦人科で右入院治療を続けるうち、さらに膀胱腫瘍に発展し昭和四四年九月からは同病院泌尿器科に転科してコバルト治療を主体とする入院治療を受けており、右コバルト治療がはげしい身体の衰弱を伴うところから、申立人が通院して右治療を受けるということはできない症状にあることが認められる。
そこで、申立人が右入院治療に要する費用であるが、石崎知正の審問結果および当庁書記官の右病院に対する電話照会聴取書によると、昭和四五年四月一四日から昭和四六年一月一〇日までの同病院に対する未払額は合計金三〇万八、七〇九円であり、今後の治療費としてはコバルト治療期間中は月額最高金一五万円位、その際特に輸血、高価な注射等を要する場合には月額金二〇万円位、それ以外の場合は月額金三万円位を要するものであることが認められる。
しかして、これに対し相手方の負担能力であるが、まず相手方は資力の問題とともに今後は未成年者養女美津子の教育に専念する必要を力説し、もはや助からない体の申立人に金をかけることは死金になる旨主張するのである。
右後段の主張が理不尽で採用しがたいことはいうまでもないが婚姻関係が破綻している場合の婚姻費用の分担についてはなお検討を要するものがあるとともに、右前段の未成熟子扶養と夫婦扶養の関係についても検討を要する。
婚姻関係が破綻している場合の夫婦間の婚姻費用分担については、まず右破綻につき有責の配偶者からの婚姻費用分担請求は一定の範囲において制限されるものと解すべきを相当とするが、右有責性を認めがたくて破綻状態を帰している場合においても、婚姻費用分担が婚姻共同生活体を観念的に前提としていることを考えると、その破綻の程度に応じて自らその分担額の範囲に差異を認むべきものと解するのである。また未成熟子扶養と夫婦扶養の関係についても、破綻している夫婦間において当該未成熟子と生活を共同にして現に扶養している配偶者側の生活保持を考慮して、しかる後に夫婦扶養を考えざるを得ないと解するのである。
しかして、本件の場合は、申立人と相手方の婚姻関係破綻の状態は、前記認定のとおり申立人の罹病とそれによる長年月の入院生活により双方の婚姻生活は長年月にわたり別居生活をよぎなくされ、今後もその状態は継続せざるを得ない状態にあり、それにいままでの生活の基礎であつた○○○○○工業株式会社を停年退職するという経済的に苦しい生活の変化をきたした相手方が、申立人のために多額の出資を要するということから、その治療方法をめぐり申立人およびその実姉等親族と対立し、これが直接の原因となり現在は極度に申立人を嫌い離婚することを強く要求する心情になつていることが認められる一方、申立人、相手方、草深ミヨの各審問結果によると、養女美津子は相手方のもとに養育されて現在○○高校に在学中であるが、入院中の申立人をよく見舞い、精神的にも母子の共同生活関係をよく維持していることが認められるのであつて、これらの事情を総合すると、申立人と相手方の婚姻関係は最近急激に対立破綻の状態に進行しているものの、なお婚姻関係保持の余地を残しているものと認めるのである。
そこで、相手方の資力ないし生活状態であるが、相手方、申立人の各審問結果および当庁書記官の電話照会聴取書によると、相手方は前記○○○○○工業株式会社退職時に金二三九万六、〇〇〇円の退職金を受給し、そのうち金八〇万円位を定期預金として現在残し(その余の金員については相手方現住の宅地建物の購入取得のための借金の返済にあてた旨の相手方の供述のあるところこれを覆すに足る証拠はない)、その後○○自動車整備工場に勤務して日給金一、〇〇〇円月平均金二万三、〇〇〇円の収入を得、他に右○○○○○工業株式会社より退職年金として月額金五、〇〇〇円、退職年金加給金として月額金四、〇〇〇円の支給を受け、それに現住所の宅地二四〇坪位を亡兄と共有して同地上に住家二〇・七五坪を建築所有し、右収入月額金三万二、〇〇〇円によつて高校在学中の養女美津子との生活を保持していること、そして相手方としては養女美津子に自己の将来のすべてを託すべく、高等教育も可能なかぎりさずけたいと考え、さらに大学に進学させたいと考えていること、が認められるのである。
以上認定の諸事情から考えると、相手方は申立人に対し申立人の入院費用中昭和四五年四月一四日より昭和四六年一月一〇日までの病院未払累計額金三〇万八、七〇九円全額とそれ以後の分として月額金一万円を支給させるを相当とすべく、申立人のその余の入院費用については、草深ミヨの審問結果によつて認められる申立人の姉草深ミヨ(小学校教師)、兄吉田光秀(高校講師)、妹春子(夫が電気関係)、弟吉田洋次郎(薬局経営)、弟吉田英夫(小学校教師)の親族扶養その他に期待すべきものと解する。よつて、主文のとおり審判する。
(家事審判官 渡瀬勲)